主人公ジャンヌは、のどかな田舎の村で暮らす平凡な少女でした。彼女は優しい村人たちに守られて暮らしています。
彼女が生きるのは、"大人によって守られた優しい世界"="無条件に愛されることが許されてきた世界"です。

しかし現実の世界はどうでしょうか。

謎の男「アディ」との出会いは、彼女を"大人によって守られた優しい子供の世界"から、"辛く厳しい現実世界"に直面させる、そんな出会いを意味することになりました。 少女は女であることを自覚させられ、今まで過ごしてきた場所は"大人の用意した子供のための世界"であったと知らされ、外の世界で大人になることを強要されます。
「現実世界は誰も貴女を守ってはくれない、貴女を餌食にしようとしているのだ」と迫ってくるのです。

平和で代わり映えのない毎日は、あの日突然崩れ去り、彼女は初めて現実世界と向き合うことになります。 物語を分かりやすくするためのファクターとして「戦争」という設定がされていますが、今まで自分が当たり前だと思っていたものが壊されれば設定はなんでもよかったのかもしれません。一度自分の価値観を変えるような出来事に出会ってしまえば、もう元の自分には戻ることはできません。 そして彼女は帰る場所を失ってしまった……という分かりやすい設定になりました。

しかしジャンヌは自分の意思で選択していきます。今まで大人たちの手によって決められた人生を歩んできた彼女が、初めてレールを外れ、自分の意思でアディ(=大人と共に生きること)を選ぶのです。 諦めて、絶望し、そこで助けを待つのではなく、 希望を探して、どこまでも前向きに、力強く生きることを選択します。
王子様の助けも、正義のヒーローの登場も、彼女は求めません。そこに彼女の魅力があると思います。 ジャンヌは厳しい社会の中で、時代の波に流されながらも、男に依存するのではなく、逞しく生き抜く強さを持っている、そんな女の子なのです。
そして自身の置かれた宿命「神の子」であるという事実も、ストーリーが進むに連れて深く受け止めることができるように成長していきます。


「それが私。私は私の運命を受け入れる。
 それしか道はないなら、早く受け入れて、全部飲み込んで、強くなって、
 決められた運命の中でも足掻いてもがいて、たくさんの人を幸せにしたい」
 (EP.08 / 悪魔の村にて)


ジャンヌが神に選ばれた特別な人間だからではなく、私たち一人一人に、そういう気持ちがあれば、誰かを幸せにすることはできるんじゃないかと思います。




「神の子」とは女神ノアが地上に降ろしたとされる奇跡の少女であり、その腹に宿った命は必ず偉大な王になるとされています。世界中の男が手に入れたいと願う、欲望の対象です。 「神の子」が子供を生む道具として語られるとき、それは「女」を意味する記号として使われます。

ジャンヌが村で暮らしていた頃、幼馴染のアベルとは両想いの関係にありましたが、それは学生時代の淡い思い出のようなもので、どこか現実味がありません。 アディと出会って初めて、女であることを自覚させられ、世界が少女たちに女として役割を果たすことを強要しているのだと知るのです。 どんなに周りが女としての役割を演じろと迫ってきても、それには応じることはありません、屈することなく、立ち向かっていきます。


「知らない人に抱かれるのも、アベルに利用されるのも私は嫌」(Ep.01 / 誘拐後)


子供が大人の世界に放り出され、現実に打ちのめされながらも、若々しい理想と希望を剣に立ち向かっていく。根本的にはそういうストーリーなのだと思います。

ところで、「神の子」たちは女神ノアの使いであるにも関わらず、あまり「神聖なもの」としては登場しません。彼女らは聖女というよりむしろ俗っぽい。 嫉妬に狂ったイヴ、怠惰に過ごすジゼル、強欲で傲慢な王女グリーナ……などなど。
彼女たちは、世界や運命に力強く抗おうとする若いジャンヌと対比して描かれます。 世界に立ち向かうことをやめ、諦めてしまった大人たち……そんなイメージでしょうか?

話は変わって…大人が子供に及ぼす影響も大きいですが、子供が大人に与える影響もあります。 ジャンヌは酒浸りの生活をしているジゼルを外の世界へ連れ出すきっかけを作り(Ep.04 / 街にて)、イヴにはもう一度気高い心を思い出させます(Ep.08-09 / イヴの自殺)。
沢山の人との出会いが、ジャンヌを成長させ、そしてジャンヌも周りの人たちを変えていきます。




「アディ。私、村を出るまで何も知らなかった。
 世界はこんなにも広くて大きくて、私の知らないことばかりだった。
 そんな私に、大切なものをたくさん、この一カ月で与えてくれたのはあなただったわ。
 本当にありがとう」
 (EP.07 / 悪魔の村にて)


アディはジャンヌを現実世界に連れ出した「大人」代表です。 子供はいつまでも家の中にいるわけにはいきません、いつかは外の世界で、誰かと対等に渡り合っていかなければなりません。 彼は自分で考え、判断して、闘う知恵と勇気、信念を持っています。厳しい現実世界で生き残るための強かさ、明るく能天気で図太い精神力の持ち主です。 若々しい情熱(誰もが平等に暮らせる世界の実現)を持ち、現実と闘う革命家、理想論者でありながら、現実主義者でもあります。 誘拐犯、「俺の子供を生んでくれ!」というデリカシーのない発言はともかく、ジャンヌは一人の人間として、尊敬と憧れの気持ちを持ってアディと向き合い始めます。 完璧そうに見えて、女心の分からないだらしない人、そんな人間味溢れるところが彼の魅力でしょうか。 (職場ではリーダーシップを発揮するのに、家に帰ると何もできない、奥さんに怒られるタイプだと思います。笑)

イヴとの関係に関しては、おそらく非難轟々であると承知しておりますが、二人の関係について少しお話をさせてください。
「Ep.09」の回想シーンで、「Ep.01」の冒頭、逃げる少年少女のシーンが過去のアディとイヴであったことが明かされています。 まずは、せっかくなのでボイスドラマでは表現できなかった当時の二人のプロフィールをご紹介させていただきます。
当時のアディは13、4歳、天涯孤独の身で、奴隷としての人生を送っていました。彼が「誰もが平等に暮らせる世界」を求め、何千年も闘い続け、その情熱を忘れない理由は、生い立ちにあるわけです。 一方のイヴは15、6歳という設定です。塔の中に幽閉され、「神の子」であるが故に、毎晩男たちに弄ばれるという凄まじい生活を送っています。
「アディは大きな愛で私たちを守ってくれてる、いつの時代も。でも、私達が望むのはそういう愛じゃないんだよね」(Ep.05)という発言は、この生い立ちからきているのです。 残念ながらイヴは、どうすれば男たちが悦ぶのかを本能的に知っており、アディからそれを求められないことに対して「愛されているとは思えない」と感じています。
「奴隷の少年」と「囚われの姫君」。二人は誰かを愛したことも、誰かから愛されたこともない――
だからこそ自分の思う"愛情の形"を相手に押し付け、求めてしまうのです。
一見、純粋にアディを慕っているように見えるイヴでさえ、"ただ黙って相手の意見に従うこと"="愛"だと信じて疑っていません。


「たとえそれがどんな理由だったかなんて関係ないの。
 私を外の世界に連れ出してくれて、(中略)それだけで、私はアディを信じれる。
 一緒にいたいと思える」
(Ep.02)


このセリフのとおり、アディがイヴにそうさせているわけではなく、イヴ自身が"ただ黙って従うこと"で得られる関係を望んでいるのです。
まさに「恋人ごっこ」。
嫌なことは嫌だと言って、素直になればよかった。二人はもっと本音で話し合えばよかった。向き合えばよかった。しかし、それをしなかった。
イヴは考えることを放棄して、アディの意見に従う役者を演じ続けます。アディに従っているのだから、起こることすべての原因は自分ではありません。 そうしてどこか心の逃げ道を「アディのせい」にしていたのです。
"ただ黙って相手の意見に従うこと"="愛"だと思っているイヴは、ジャンヌの態度にひどく動揺します。 ジャンヌはアディを拒否し、嫌なことは嫌だと言えるのです。 それなのにアディはジャンヌに惹かれる。……何故そんなことが起きるのか、イヴにはきっと理解できなかったことでしょう。そしてアディとジャンヌへの恨みを募らせたのです。
「私は全てを彼に捧げてきたのに、どうして」……きっとこんな気持ちでしょう。
"ただ黙って相手の意見に従うこと"、それは心からアディがイヴに対して望んでいたことではない……というのはもうお分かりですね。

ではアディから見たイヴはどのような存在だったのか。
アディにとってイヴは、"何も言わなくても分かってくれるような「兄弟」のような存在"です(これもまた都合がいいですね)。
アディがイヴを攫い、逃げ出したとき、二人は世界の大きな流れに、たった二人で抗い続けなければならなくなりました。
繋いだ小さな手と手は、まだ子供のそれでしたが、それはきっと「恋人」よりも強い絆であったことは間違いないと思っています。